maltiman…このブログは以前数々の名エントリーを生み出しましたが2020年に全てのデータを消去しました

prologue

神奈川県の藤沢市。箱根駅伝が通る遊行寺坂の下から藤沢橋までの間の地点。当時創業100年の「山口米店」はあった。その若旦那となる予定だった私は、気ままにのほほんと暮らしていました。しかし、そろそろ卒業、就職という頃。米屋の「若旦那デビュー」を夢見ていた私はろくすっぽ就職活動などしておらず、当時の社長(父)に相談したところ、「店の借金は現時点で1億8千万円ある。もうおまえがどんなにがんばっても(経営は)立て直せるレベルではない。」と告げられ途方に暮れる。

そしてその翌年、山口米店は100年の歴史に幕を閉じました。

人生を半ばあきらめかけるものの、まだ私は若い、なんとかなるさ!と焦燥感に苛まれることとの中間をさまよいまくっているところ、当時の Apple Computer の Macintosh 通称「Mac」と出会う(この下りはSTORYS.JPにくわしく掲載)。これからは全ての創作物の「元」はパソコンによってディジタルで作り出されるに違いない!と確信した私はMacを使った創作活動に没頭していくことになります。横浜のエレベーターくらいの大きさの部屋で…。

digital image works

まだ、入稿がポジフィルムだったころ。私は独学で得たMacのスキルを活かし、広告ビジュアルプロダクションにかろうじて入社し、Photoshopや3Dソフトを駆使してビジュアルワークスをノタノタと作っていました。ようやくデジタルデータ入稿が当たり前になりかけたころに、1998年,1999年とパルコ主催アートコンペティション「アーバナート」 CG映像部門に入選。また同年日本デジタルアートコンテストフォトイメージング部門入選。
もうこれからはデジタルは当たり前になるので、デジタルであることのアドバンテージはあまりないだろうと「マルチマン(屋号)」として独立を思い立つ…

publishing & digital movie

が、PCのハイスペック化と本格的なdigitalムービー時代の幕開けに合わせて、1999年「Adobe Premiereでつくるデジタルムービーテクニック」をソーテック社より出版。この手の本(映像ソフトに関するムック本は当時ほとんどなかった)では異例の3刷達成。

調子に乗り、Final Cut Pro を Apple がリリース後の2000年に「Final Cut Proスーパーリファレンス」同社より出版。バージョンアップするごとに出版。その合間にAfterEffectsやらDVDの本やらなにやら….。もはや出版するために動画編集スキルが磨かれるという好循環に陥り、2010年にはHD映像素材集もリリースしてみたり(今この解像度のムービーがZoomのバーチャル背景素材としてバッチリでありこれまた感慨深い)….。そのスキルを活かして企業のVPやらアーチストのPVやらなにやらいろいろ作ってみたりしたり…

web creation

…しているウチに自分でゴリゴリやるわけではないが、恵比寿駅と広尾駅のほぼ中間あたりに、Lyric Graphic Co.,Ltd.(と言うデザインプロダクション)を設立して、晴れて若旦那(代表取締役)になる。山口米店倒産から10年以上経っていた。そして、アナログモデムでピーヒョロロとNetscapeで世界につながったコトに感動したことを思い出し、1997年には自分のホームページを、2000年から maltiman.com を取得し、WEB上に漂流し続けている身として、これからは「WEBだろう、Flashだろう!」と思い、それを仕事として、スペシャルサイトから、企業サイトからブログサイトまでいろいろ作りまくり…

visual contents

ましたが、これまたどうにも限界を感じ、「これからはやっぱコンテンツだな」とか浅はかに、「babitan」やらケータイ★メンやらキャラクターでひともうけだ!と、いろいろとやってみましたが、鳴かず飛ばず。投資額は膨れ上がるも決定的なブレイクポイントは超えられず、順次挫折。

自分が得意なのは「digitalでのモノづくり」なんだからビジュアルコンテンツ?とかなんとかやってやろう!と思って、あーでもないこーでもないと広尾の事務所にて考え抜く….

real communication

などなどしてみたあと、実はかなり前(若かりしころ)から企業のイベントとかちょいちょいやったことあるなぁとか思いだし、このビジュアルコンテンツ的なものとイベントプロモーション的なものが融和するときっとモノスゴイことになるんじゃないだろうか?と思って、Aoi Pro(当時)のグループ会社のイベント会社の取締役に就任。広告代理店の聖地「ガシギン(東銀座)」に来たものの、もうバブルの銀座は跡形もなく、いまはもう「ザギンでシースー」に成り果て、それにもめげずさらなる期待をひっさげて、オンラインからオフラインへのコミュニケーション(当時でいうO2O)という課題に取り組み、ある程度成果を出し、おぼろげながら何か見えてきたさなか…

東日本大震災にあい、幼少期に江ノ島の荒波に揉まれた時以来の「死ぬかもしれない」という体験を久々にする。

hontono communication

やはりギョーカイは、いろいろと産業構造が古く、このままでは一点突破打法でも壁を打ち崩すのは難しいと考え、いったんリセット。また、東日本大震災により、ACでテレビを埋め尽くされるのを見て、自分のやっていることの無力さに打ち拉がれる。

この複雑化の一途をたどるシステム化社会において、もっと本音を語って、もっと本質に迫りたいと思い、もっともっと名刺を差し出した時とかに「ホントノ山口良介です!」と言いたいが為にホントノ株式会社を立ち上げてみました。

startup web service Relekino

そしてこれまた、甲斐性なしのくせに、スタートアップWEBサービス「Relekino(リレキノ)」を立ち上げました。天王洲にあった、Samurai Startup Island に入居し、「世の中から履歴書を無くす!」というミッションに鼻息荒く突入する。もっと早くこんなエキサイトな世界に気づいて関わっておけば良かった!と思いつつ、エレベーターピッチを尻に鞭打って頑張ってはみたものの、数回のピボットを経てもマネタイズ出来ず、やむなく4年でサービスクローズ。スタートアップの星屑となる。

nonprofit organization

その頃から、なぜ俺は上手くいかないんだ?と本社の近所の田んぼや河原で仕事をしつつ現実逃避をすると、非常に楽しいことが分かり、アウトドアでITワークを推進する、野良ITを立ち上げる。

そして自然と野鳥をこよなく愛し、あらゆる生き物に敬意を払い、何かこれらのことで世間に役立てないか?と思い込み、今まで犯してきた荒業の数々を少しでも社会に還元できないものか?と特定非営利活動法人まちづくりエージェントSIDE BEACH CITY.に参画、現理事長です。

さあ、次を考えましょう

マルチマン

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